西サハラ


西サハラ西サハラ WESTERN SAHARA
隣国のパワーバランスに左右され続ける係争地域

アフリカのサハラ砂漠西端部、大西洋に臨む係争地域。大部分は砂漠だが、散在するオアシスでは農業が営まれるほか、遊牧が行われている。
旧スペイン領サハラ。1976年サハラ・アラブ民主共和国として独立宣言したが、領有権を主張するモロッコとの紛争が続いている。この領域は鉱物資源のリンに恵まれ、沿岸部には大量の石油が眠っていると考えられている。アルジェリア支援によって1973年に結成されたポリサリオ(Polisalio)による遊牧民の解放闘争が続いており、モロッコと同領域をめぐり対立している。1987年に「砂の壁」が完成して以降、大部分はモロッコの支配下にある。未だ10万を超える西サハラ地域遊牧民が、アルジェリアにあるポリサリオ難民キャンプで生活を送っている。

国土:252,120sq km
人口:273,008人(CIA The World Factbook 2006年)アフリカ第52位
首都:EL AAIUN (169,000)

略史

1973年5月

独立運動組織、ポリサリオ戦線(Polisario)が結成される

1975年10月

国際司法裁判所が西サハラに対するモロッコとモーリタニアの領有権主張を否定する勧告意見を下す。
モロッコ軍とモーリタニア軍が西サハラへ侵入

1975年11月

同領域を要求するモロッコの行動として、“グリーン・マーチ”が起こる

1976年2月

サハラ・アラブ民主共和国(SADR)独立宣言

1976−91年

ポリサリオ戦線とモロッコ軍、モーリタニア軍(1979年撤退)とのゲリラ戦が続く

1982年2月 サハラ・アラブ民主共和国がアフリカ統一機構(OAU)への加盟を認められる。
1984年11月 サハラ・アラブ民主共和国が初めてOAU首脳会議に出席、正式に加盟。
1980-87年 モロッコによる「砂の壁」の建設。地雷原と軍事施設を併設した「壁」により西サハラ国土の3分の2を囲い込む。
1990年6月 国連安全保障理事会で西サハラ紛争の「解決計画」を採択。独立かモロッコ統合かを住民投票で選択することが骨子。

1991年8月

住民投票を管理する国連西サハラ住民投票監視団(Minurso)の活動が始まる

1991年9月

ポリサリオ戦線とモロッコとの間で停戦発効

1996年5月

国連による住民投票有権者確認が一時中断される

1997年9月 解決計画を事実上復活する「ヒューストン合意」。有権者認定作業の再開。
2001年1月 MINURSOの有権者認定委員会は8万6381名を有権者と認定する確定有権者リストを発表。モロッコは12万人の再審査申請リストを提出。
2001年2月 アナン国連事務総長が5年間のモロッコ主権下での自治を提案する「枠組み合意」案を提示。ポリサリオ戦線はこれを拒否。
2001年6月 「枠組み合意」案に基づく「第1次ベーカー計画」が提案される。

2003年5月

5年間の暫定自治を経て、独立・自治・モロッコ統合のいずれかを選択する「西サハラ人民の自決のための和平プラン」(第2次ベーカー計画)が提案される。

2003年7月 ポリサリオ戦線が「和平プラン」を受諾。
2003年8月 国連安保理が「和平プラン」を支持する決議を採択。
2004年4月 モロッコは「和平プラン」を正式に拒否。自治のみが唯一の解決であるとの姿勢を鮮明にし、独立を選択肢に含む住民投票という構想を拒否。
2007年6月 国連事務総長特使の仲介によりポリサリオ戦線とモロッコの直接交渉が開始される。

外務省 海外安全ホームページ(西サハラ)
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(地図 Source: University of Texas Libraries)

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