サムソン 2004 冬
サムソンです。本名です。詳しい自己紹介する必要はない。いつもより少し早い月曜の朝、山崎まさよしの「未完成」を聴きながら、未完成な自分を綴る。エチオピアに来て四週目、25才になったばかりで、一週間後には日本という非現実に戻る。
アディスにいる間、毎日ミニバスに乗ると、「チャイナチャイナ」と呼ばれ、物乞いのみんなさんが次々とやってくる。青年はティッシューペーパーを、少女はガムを、子どもはただ手を開いて、あなたを見つめ、「ハロー!ハロー!」を繰り返す。おじさんおばさんは手を口元からお腹へ、お腹から口元へと動かし、お腹空いてることを訴える。歩けない人、腕のない人、あなたの乗ってるバスまで来られなかった人たちも。障害を「売り」とし、写真にする必要のないそれらの光景に、何日か経てば、やがて慣れてしまうだろう。
少しでもぜいたくするたびに、食べ残すたびに罪悪感を覚え、いいおうちに住んだり、シェラトンホテルで泊まってる人を見ると、なんだか違和感を感じる自分がいた。エチオピアとは思えないとこに泊まって、いいものを食べて、酒を飲んで、街にいる困ってる人たちに、半分とは言わない、十分の一、いや、千分の一さえ差しだそうと思わない君は、それでも人間かって、一瞬思ってしまう自分がいた。
でもよく考えると、日本だと何も思わないのに、ここだと人を責めてしまうのもおかしい話。困ってる人たちが目の前にいるから?じゃあ、そこにいなければいいんだ。困ってる人が、目の前にいなかれば、罪悪感を感じなくていいんだ。何も感じなくてよくて、どうでもいい。
・・・。
新たな一年は「問い」ばかりで、自分なりに、少しずつ「答え」が見つけようとした。「答え」なのかは分からないけど、それにつながるなにかは、ここにはあった気がした。
短い間ではあったが、自分の写真が少しでも日本人の固定概念を変えることができるならばって思う。学校の見学で、少し「先生」もさせてもらった。ちゃんとした食事をし、途中熱が出て、マラリアじゃないかと心配し、すぐに病院につれてくれた。他人だった私に、二人はありのままに、家族かのように接してくれた。アフリカ理解のエチオピア事務所で時を過ごすだけ、人間ができてく気がする。尊重できる人はいくらでもいるが、尊敬できる人はそう出会わないものです。物理的な距離はあるが、これから、ここの二人と関わっていきたいと思う。
どこにも向かってない私でさえ、一緒にいると、なにかに意味のあるものに向かってる気になる。
やろうと思えば、ひとりだって、何かを変えることができる。世界を動かすことでさえできるんだ。
疑問を持つ。問題だと思うとき、妥協せず、恐れず、引けず、何かをしようとするか、それとも、「私に何もできないよ」と、
逃げるのか。
世の中はこれだけ変わってきた。世界は変われるんだ。変われると心から信じている限り。
また来るよ。私は。
25才がここではじまることに、光栄に思い、幸せに思う。私はまたここに来る。もう、そう遠いとは思えなくなったここに。
from me 2004 冬
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