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生きたバラフォンの精霊=マハマ コナテ

マハマ コナテは西アフリカの内陸国ブルキナファソの古都ボデュラッソに住む世界一のバラフォン(木琴)奏者である。
彼にとって人生そのものがバラフォンであると言っていいだろう。
気が向けばバラフォンを叩き、時に弟子と共に作り、ギネスを飲み、話し、笑い、日が暮れてゆく生活。
マハマは現在65歳くらい。というのも、アフリカには戸籍は無いため、生年月日は定かではないからだ。一応元旦生まれと言うが、イーカゲンこの上ない。
66歳かもしれないし、67歳、あるいはそれ以上かもしれない。しかし、生まれた時からバラフォンの音の中で暮らし、今に
至っている事は確かだ。バラフォ ンのためだけに生きてきたため、結婚も50歳近くなってからで、ようやく13歳と11歳にな
る娘がいる。
そんなマハマのバラフォンは、その叩く音そのものが直接宇宙と繋がっている。音が流星群のように降りてきてそそぎ、聞
く者の意識をそのまま宇宙空間に放り込む。彼は生きたバラフォンの精霊である。

すぐれた楽師は呪術師

サハラ砂漠以南のブラックアフリカの宗教はイスラム、キリスト教という衣を被っていても、底に通じているのは基本的に
は精霊信仰であり、祖先崇拝である。その儀礼には音楽がつきものだ。もちろん生活にも歌と踊りは欠かせない。元気の
素でもある。
ジンバブエのショナ族が演奏する親指ピアノ“ムビラ”は、その楽器自体が祖先の霊と交信するための通信器である。
延々と繰りかえされる水音のようなその音楽は、究極的なミニマルミュージックと言えるが、その音は祖先へと通じる道で
ある。トランス状態で祖先の暮らす日々の中へ入ってゆく。

すぐれた楽師は呪術師でもある。



祖先を尊敬する人々の国=ブルキナファソ

ブルキナファソは、サハラ砂漠の南に位置し、面積は日本の約2/3、そこに1300万人程の人々が住む、サバンナ気候の国である。乾季にはサハラから吹く、その赤い細かい砂を含んだ風ハルマッタンが時に国を覆い、人々は砂にまみれる。暑い時の気温は45度を超える。
公用語はフランス語だが、モシ族、デュラ族、ボボ族など63の部族が住み、それぞれの言葉を話して暮らしている。世界最貧国の一つであり、平均寿命は45歳程度である。
これがこの国のある一つの現実である。しかし、国の名前、ブルキナは尊厳を意味し、ファソは先祖の地を意味する。先祖を尊敬する人々が住む国なのだ。

  



ファラフィナ(黒い人々)を訪ねて

そんなブルキナファソには2000年12月から2001年1月にかけてと、2002年1月の2回、マハマ コナテと彼のグループ“ファラフィナ リリ” (ファラフィナは黒い人々の意味)に会いに出かけた。

マハマのグループの音楽は、ヒョウタンの共鳴胴がついた木琴バラフォンと、ジェンベ、バラ、ギロ、マラカスといった打楽器と歌だけの音楽である。音階がある楽器はバラフォンのみだ。しかしそれらが緊密に結び合うと一気にリズムの狂宴となり、ダンスとリズムとソングの神様が降りてくる。




「哀愁」のない音楽

ブラックアフリカの大陸部の音楽には、普通の他の地にはどれにもある「哀愁」という感覚が全く無い。ラテン音楽でいうサボール エ センティミエントが全く存在しない。マハマの音楽もそうである。それから感じられるのは、力強い裸の生命と大地と宇宙だ。人類発祥の地にそのまま止まっている彼らには哀愁は必要無いのかもしれない。
男と女の出会いもストレートだ。今日寝るか寝ないか、だけと言っても過言ではない。人との出会いはその時だけ、いつかなどとは言ってられない。二度と会えない可能性の方が高いからだ。
  



 
マハマとの出会いは大晦日

マハマに初めて会いに行くために、その名のとおりボボ族とデュラ族の多く住む美しい古都ボボデュラッソにたどり着いたのは2000年の12月31日大晦日だった。道端には街路樹が大きな影を落とし、思っていたよりも緑が多い。
本当にマハマに会えるのだろうか?
ホテルにチェックインしてすぐその前にたむろしている自称ガイドにドライバーが声をかけると、「今からすぐ家まで連れて行く」と言う。
車で15分くらいの村サラファラオーに行くと、不思議な看板絵に飾られたブロック塀に囲まれたマハマの家があり、彼は昼寝をしていた。

マリ人のギタリスト、アビブ コワテからも「ボボへ行って誰にでもいいからマハマ コナテに会いたいって言えば、すぐに解るから心配しなくていい」とは聞かされていたが、あっけない程簡単に辿り着いた。




キャバレー「青空天井」

家に居たメンバーに連れられて、電気の通じていないため昼間のみ営業する“キャバレー”に行く。
キャバレーといっても青空天井にアフリカの地べたそのままのダンスフロアーである。
ホステスとは絶対呼びたくないようなオバチャンが、ミレットという穀物からそのキャバレーにある釜で醸造したにごり地ビール「チャパロー」を売り、御近所の人々が子供から大人まで、ちょっと酸っぱいが飲み続けるとクセになるチャパローで、昼間からデキ上がって踊っている。
飲み過ぎるとドブロクのように悪酔いするこのビールと音楽で、前後は関係なしにその日をひたすら楽しむ。酔っ払いのケンカには、強い飲み屋のオバチャンが目を光らせている。
初めてのチャパローをグビグビとやって僕も盆踊りのように輪になって踊るバラフォンダンスの中に飛び入りする。踊ってナンボである。

マハマ宅へ帰ると昼寝から醒めたマハマが出迎えてくれる。二度の来日ですっかり日本びいきになった彼と、マンゴーの木やレモンの木やらが木陰を作るテラスでギネスで乾杯となる。
 マハマ一家と・・・テラスで乾杯!



翌日は21世紀の元旦である。そしてマハマの誕生日?とされている日だ。
約束通りお昼前に出かけて行くと、昼食が用意されていた。元旦だろうか、僕のためか、それとも誕生日だからか、珍しく米と肉がたっぷり入ったシチューが振舞われた。御馳走だ。普段はミレットを熱湯でこねたものに、羊の臓物が少し入ったネバネバのオクラのシチューをかけて食べる。
撮影を終えてゆっくりと一服していると、日が暮れたら庭でファラフィナ リリのライブとパーティーがあるから来るように言われる。

 
21世紀最初の誕生日

それが何のパーティーかも知らずに夜になって出かけると、マハマの誕生日パーティーだった。
メンバーは家族揃って同じ柄の新品の民族衣装に身を包んでおり、誰が誰の家族かは一目で判る。村の人々がひっきりなしにお祝の挨拶に訪れる。
酒が振るまわれ、踊りの輪と音楽が延々と続いてゆく。
リビングではお揃いのドレスを着た娘二人に、バラフォンのキーを捧げ持ったマハマがその謂れを語って聞かせている。

しかしこの夜も彼がバラフォンを叩くことはなかった。

バラフォンの精霊現る

それから毎日マハマ宅に押し掛ける事になるのだが、翌二日の夕方、彼は突然、バラフォンを聞かせるから家の中にあるレッスンスタジオに来いと言う。最近ではキャバレーでの演奏にマハマが加わる事はない。人前で叩くのは時折のコンサートくらいだ。その彼が・・・その気になったのだ。
初めて聞く生のマハマのバラフォンの音はやはり特別だった。誰の音とも違う、誰の音よりも大きい。
村の人はその音が遠くから聞こえると、マハマが村の何処で叩いているかすぐに解る。それほど独特のフレーズ。テクニックで言うと、メンバーのママドゥ曰く、彼は左手が特に強く、トゥトゥトゥと三連を左手のみで叩くらしい。これが出来るのはマハマしかいない。
どんなに説明してもそれは説明にしかならないもどかしさ。それは宇宙からの通信だったと言うしかない。ただ震えた、としか書けない。
 マンゴーの木の下で

それから一年後、またしても僕はマハマ宅に行く事になった。
サラファラオーの自宅、マンゴーの木の下でマハマは、やっぱり突然バラフォンを叩き始めた。あっと思う間もなく涙が溢れてきた。ママドゥが見つけて「タカクワ、泣いてる…」とちょっとからかうように言うが、拭う気も隠す気も起きない。そのままその音に聞き入っていた。
マハマは笑っていた。

(文章及び写真提供:高桑常寿)


マハマ コナテのCDは、以下で入手できます






認定NPO法人 日本ブルキナファソ協会
(無料試聴も可能です)

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