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(2010年3月)

吉田さんご自身のアフリカとの出会いから映画へ
 
大学時代は地理学科で日本を対象に研究していましたが、指導教官がアフリカ研究者だったこともありアフリカに対して漠然とした興味は抱いていました。大学院に進学した直後に、私にとっては青天の霹靂でしたが、アフリカのプロジェクトに声をかけていただき、以来、在学中は年に数カ月はケニアに行くような生活を送ることになりました。エキゾチックな世界への憧れはありましが、それはせいぜいインドや中東までのことで、アフリカは憧れのさらに向こうの“完全に未知なるもの”でした。あまりにも知らないということが、逆に強烈な興味を生んだのかもしれません。研究はケニア国内での出稼ぎについてでした。修了後は、普通の仕事に就いていましたが、アフリカに関係する何かをできたらという気持ちは持ち続けていました。

2003年に東京アフリカ映画祭プレゼンツの「アフリカンドキュメンタリー」(映画祭)のボランティアに応募したことがきっかけでアフリカ映画との関わりが始まりました。仕事を続けながらボランティアとして字幕翻訳や会場運営などを始め、映画祭を学んでいきました。たくさんのことを学んだ期間でしたが、不幸なことに2005年に映画祭ディレクターの白石顕二さんが病気で急逝され、映画祭は一時休止されてしまいます。今でも何と言えばよいのか分からない大きな衝撃であり悲しい出来事です。

シネマアフリカについて 
 
映画祭はそういう事情で不幸にも休止せざるを得なくなったのですが、その後しばらくして、有志と共にアフリカ映画の上映を続けたいと動き始めました。そして、何とか開催にこぎつけたのが2007年の映画祭でした。8本のルワンダ映画を取り上げ、ゲストとしてルワンダからエリック・カベラ監督を招待し、「シネマアフリカ2007-ルワンダの記憶-」として渋谷のアップリンクで開催しました。とにかく初めての映画祭で、広報などする余裕もなく、観客もほとんど来ないのではと危惧していたのですが、予想に反して平日でも立ち見が出るほど集客があり、アンコール上映まで決まりました。終わってみたら、のべ2000人を超える動員で私たちスタッフが逆に驚いたほどです。

シネマアフリカは、みな仕事を持ちながらの兼業で非常に小規模な団体であり、映画祭を隔年開催できればくらいに思っていましたが、最近では世の中の流れに後押しされています。2007年の映画祭の翌年には、TICAD Ⅳがあり、アフリカ映画祭への期待もあったため、ふたたび何とか「シネマアフリカ2008 in 横浜」を開催することができました。この年には、ルワンダだけでなくほかの国の映画も取り上げ、監督も3カ国から3人を招待することができ、非常に大変でしたが何とか無事開催することができました。2009年にも、横浜市で上映会「アフリカ映画デー」を開くことができました。

ここ数年の経験から、アフリカ映画への需要は多いということがわかってきました。今年はWorld Cupがはじめてアフリカ大陸で開かれる年であり、また1960年から50周年のアフリカ年でもあります。この記念すべき年を映画で彩れたらと思います。今年は6月に横浜で上映会と、11月に東京に戻ってメインの映画祭を開催するべく準備を進めています。




日本にはフェアトレードが広まりつつありますが、映画のフェアトレードを確立しようと思っています。」

吉田さんとアフリカパートナーとのつながり
 
活動を地味に続けてきたおかげで、アフリカ各地にシネマアフリカの友人達が少しずつ増えてきました。まだまだ私たちが教わることが多く、パートナーと呼ぶのはおこがましい気もしますが。彼らによく言われるのが、映画祭もよいが、その先を一緒に考えていこうということです。

日本ではアフリカ映画が見たい、場所を用意したのでやってほしい、という声をよくいただきます。有り難い申し出ですが、同時に、アフリカ映画については上映権の存在が忘れられがちなのも事実です。アフリカ映画にももちろん著作権があり上映料が発生します。監督達が資金をかけて作った作品なのだから上映料がかかりますと説明させてもらっています。シネマアフリカから作品を貸し出した際には、上映料をアフリカの監督たちに送金しています。送った上映料が、ほんの小さなものかもしれませんが(何しろ映画製作はお金がかかるのです)、次の映画の足しになればと思っています。


また、ルワンダでは現地の映像製作を応援しています。ルワンダには以前、映画館がありませんでした。昨年(おそらく)やっと一軒出来たのですが、市販のDVDをかけているくらいでルワンダ製映画の発表場所とはなっていません。そこで現地のNGOルワンダシネマセンターでは、ルワンダ製映画のための映画館を建てようとしています。日本からも何らかの支援ができないかと、いろいろ各方面へお願いや働きかけを行っています。

吉田さんはどんな映画が好きですか?
 
いろいろありますが初期に見たものでは「身分証明」が好きですね。娘をベルギーに留学させているコンゴの伝統的な王様が、音信不通の娘を心配してベルギーに訪ねていきます。ヨーロッパでのアフリカ人という現実に揉まれ、王としてのアイデンティティが脅かされる父と、故郷を振り切って生きてきた娘がそんな父王と再会し過ごす中で、アフリカ人としてのアイデンティティを取り戻していくというストーリーです。笑いに包んだ鋭いメッセージが随所に見られます。

最近のお気に入りは、世界をさかさまにした「アフリカ・パラダイス」です。世界を支配する裕福な超大国は「アフリカ合衆国」。荒廃したフランスに見切りをつけた白人たちがアフリカ大使館の前に行列をなし移住のためにビザの配給を待ちます。が、アフリカ人領事は慇懃無礼に難癖をつけ中々ビザをおろさない。ヨーロッパで飢えるよりはと、ブローカーの力を借りて夢のアフリカ大陸へと密航しますが、白人はたとえ高学歴でもいい仕事に就けないという現実を目の当たりにします。ブルキナファソの映画館で見たのですが、観客の笑いで映画館が揺れたのを覚えています。涙を流して笑い転げた後に、現実に戻り、非常に切なくなる映画でした。

アフリカに限らず厳しい環境で生きる人ほど、笑いやアートに対して鋭いセンスが生まれるものなのかもしれませんが、アフリカ映画での毒の効かせ方は一流ですね。


Sylvestre Amoussou/Métis 7 ème Art

吉田さんにとって開発とは何ですか?
 
シネマアフリカは「開発」という事柄には関わっていません。難しい事はよくわかりませんが、ひねくれたことを言わせてもらえば、開発といえばむしろ日本の社会でのアフリカへの意識が開発されるべきではないでしょうか。

アフリカに関しては、世界の大国が国益をかけて、熾烈な争いを繰り広げている非常にホットな場だと思うのですが、日本ではいまだに遠いところにある、助けてあげるべき世界ぐらいに捉えられている気がして、その御目出度いアフリカ観は少々開発された方がいいのかもしれません。




「アフリカ映画は紹介されていないだけでクォリティは高いのです。シネマアフリカのように小さな団体がやるにはもったいない分野であり、その質を考えたら、大手が手を伸ばして然るべきで、シネマアフリカなど朽ち果てていくべきなのでしょう。」

これから、何をしていきたいですか?
 
映画祭は通過点だと考えています。今、映画を日本で見ようと思ったらアフリカ人が作ったアフリカ映画に出会うことはありません。アフリカ映画が他より優れているということではなく、「あ、見たいな」と思ったときに、ハリウッド映画や、ヨーロッパ映画、邦画などが並ぶ中に一つの選択肢としてアフリカ映画があってもよいだろうと。

そのために将来的には、配給などを手がけられるようになれればと思っています。チャリティのためのアフリカ映画ではなく、マーケットに通用する商品として。シネマアフリカの上映作品の中にはベネチア国際映画祭等の受賞作品もあります。

アフリカ映画は紹介されていないだけでクォリティは高いのです。シネマアフリカのように小さな団体がやるにはもったいない分野であり、その質を考えたら、大手が手を伸ばして然るべきで、シネマアフリカなど朽ち果てていくべきなのでしょう。

現在は幸か不幸か、アフリカ映画の魅力はまだ気付かれていないようで、まだまだ私たちのするべき仕事はたくさんあるようです。

今年は11月中旬に2週間ほど、30作品程度の映画祭を東京で計画しています。また6月12、13日にはアフリカンフェスタでの上映会、19、20日には横浜市内映画館で上映会を予定しています。アフリカの語るアフリカをぜひ一度見にいらしてください。


吉田未穂さん、お忙しい中ありがとうございました。


インタヴュー:前田絵里、澤柳孝浩

プロフィール:
吉田未穂/よしだみほ 
シネマアフリカ代表
東京生まれ。
大学院時代に調査でケニアへ。
以降もアフリカ各地へ出かけ文化等について寄稿。
2003年に「アフリカン・ドキュメンタリー」にボランティアとして参加しアフリカ映画の魅力に目覚める。
2006年有志でシネマアフリカを設立、2007年より毎年映画祭・上映会を開催。
「アフリカの語るアフリカ」を探しに、ワガドゥクなどアフリカ各地の映画祭に参加し修行中。
現在DoDoWorld誌にてアフリカ映画案内連載。

シネマアフリカ

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