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戸塚亮選手
カノン ヤウンデの子供のファンと
Copyright:"Blue Sport", A TOUT PUB, Inc.

?J?????[??カメルーン:戸塚亮さんはカメルーンのサッカーリーグで活躍しています。

戸塚亮選手のプロフィール

日本の大学を卒業後、2003年〜2005年までALMAGRO (DIVISION 1) ARGENTINEでプレー。2005年〜現在はCANON YAOUDE DE SPORTIF (DIVISION 1) CAMEROONで活躍中。"Blue Sport", A TOUT PUB, Inc. に所属。

素晴らしいスピード、ボールコントロール、試合展開に応じた即妙なパスワークに定評がある。

カメルーンのブログ

家庭内異文化間コミュニケーション
LIFE@CAMEROON


カメルーンでプレーする日本人サッカー選手
 戸塚 亮

強豪カノン・ヤウンデに入団

カメルーンに渡って、すでに3ヶ月がたった。アルゼンチンでサッカーをプレーした後、次のクラブを探していた私に、マネージャーのMadame Yoko (マダム・ヨウコ)は、カメルーンでサッカーをしてみないか?と言った。カメルーンの強豪チームのCanon Yaounde (カノン・ヤウンデ) の会長のDoctor ABEGA(ドクター・アベガ)が、私のビデオを見て興味を持っているとの話だった。マネージャーは、私のプレーは技術的には良いものを持っているが、フィジカルが弱点の私にとって、カメルーンのフィジカルサッカーはよい経験になると話してくれた。

正直、カメルーンと言っても、あまりこの国について知らなかったため、興味を持ったものの不安があった。カメルーンについて知っていることと言えば、アフリカのサッカー大国で、多くのカメルーン人選手がヨーロッパをはじめ海外で活躍し、JリーグでもプレーしていたPatrick Mboma (パトリック・ンボマ) やバルセロナのストライカーのEtt’o  (エトー)の名前ぐらいだった。また、2002年のワールドカップの際のカメルーン代表チームのキャンプ地の大分の中津江村の存在も知っていた。すこし考えた結果、私はカメルーンでクラブの入団テストを受けることを決意した。不安と期待を胸にカメルーンに渡った。到着後、翌日から早速、カノン・ヤウンデに練習参加し、フレンドリーマッチをした。その結果、入団テストに合格し、2005年5月から12月まで契約して、カノン・ヤウンンデの選手としてプレーをしている。

伝説のドクター・アガベ

カノン・ヤウンデは、今年の11月で創立75周年を迎える歴史あるアフリカを代表するチームで、カメルーンリーグの1部リーグでプレーをしている。チームの会長は、元カメルーン代表でワールドカップ出場経験があり、現役時代にアフリカ最優選手に選ばれたこともある、Doctor ABEGA Theophile(ドクター・アベガ・ティオフィル)だ。カノン・ヤウンデは、彼の父が設立したサッカークラブだ。ドクター・アベガ自身もカノン・ヤウンデでプレーをして、チームのアフリカのチャンピオンズ・リーグ優勝に貢献した。ドクター・アベガは、ギネスブックに書いてある通り、サッカーで残した功績を認められて、世界で唯一”ドクター”の称号を得たサッカー選手で、サッカー界の博士という偉大で伝説的な人物だ。現在も、カメルーンはもとより、アフリカ全土でドクター・アベガのサッカーで残した功績は称えられ続けている。また、今でもドクター・アベガのプレーを超える素晴らしい選手は、カメルーンには現れていないと人々は言う。

公式戦でアシスト・ゴール

カノン・ヤウンデ入団後は、チームの用意してくれたヤウンデ市内のホテルに仮住まいし、一日でも早くチームに慣れるために、毎朝、フランス語の学校に通っている。やはり、チームメイトとのコミュニケーションは大切だ。フランス語のレッスンの後は、ホテルに戻り、プールでひと泳ぎして、15時からチームの練習へ行く毎日だ。カメルーン・リーグでプレーする初めての日本人、アジア人選手と言うことで、常に注目を浴びた。初の日本人を歓迎すると共に、どうして遠く離れた国、日本から選手を獲得する必要があるのか?と言うようなことも地元のプレスは書き立てた。そんなプレッシャーの中、だんだんチームのフォーメションや監督の戦術にも慣れ、監督の信頼を得ることが出来き、実際に試合にも出させてもらっている。カメルーン人の大きなフィジカルなDFを抜くのは容易くないが、公式戦でもアシスト&ゴールをすることが出来た。

遠征で訪れるカメルーン各地

カノン・ヤウンデは、カメルーンのヤウンデ(首都)を拠点としている。ここは、政治の中心で、大統領公邸がある。遠征でカメルーンの各地に行く機会が多くあるが、ドゥアラは経済の中心地で、とっても活動的な街であり、カメルーン最大の港がある。また、カジスポーツや、ブラッスリーなどの有名なサッカー育成学校があり、ヨーロッパで活躍するカメルーン人の選手がここで育成された。ドゥアラは、インターナショナルな街で、特にボナンジョ地区には外国人がいっぱい住んでいる。バメンダは、カメルーンの北西のプロバンスの首都だ。カメルーンには、プロバンス(県)が10あるが、8県はフランス語圏で、残りの2圏は英語圏だ。バメンダは英語圏で、人々は英語を話し、町並みがとても奇麗だ。多くの観光名所があり、滝や湖などが多く存在する。ンドングアウインと言う湖に訪れたが、とても奇麗である。風景が美しく、大変癒される。水が豊富にあることから、農業は、ここバメンダが中心で、カカオ他を栽培している。

戸塚亮選手
バルセロナFC &カメルーン代表のFWサミュエル エトー選手と

カノン・ヤウンデとならぶ強豪コットンスポーツ

ボヤも英語圏で、国立の有名な大学がある。カメルーンの観光名所が数々ある。また、カメルーンで2番目に大きな港がある。美しいビーチもある。モンカメルーンと言う中央アフリカ最大の山があり、毎年2月にマラソン大会が行われて、世界中から人々が参加する。ガロアはカメルーンの北に位置し、北プロバンスの首都で、とても奇麗な街だ。自然にも恵まれ、国立公園のワザがある。カメルーンを訪れる機会があれば、ここは見逃せない観光名所だ。ガロアの人は、モスリムが多い。コットンスポーツと言うチームもここを拠点としている、コットンスポーツはカメルーンカップ5度、リーグ優勝は7度している、カノン・ヤウンデとならぶ強豪だ。名前の通りコットン会社(綿)がスポンサーとなっているガロアのスタジアムは、国際基準のスタジアムで、設備がヨーロッパのトップチーム並みに揃ってすばらしい。

 カメルーン
カメルーンサッカー協会

豊かな食べ物と厳しい現実

アフリカと言うと貧困や飢餓で食べ物がないイメージだが、カメルーンは食べ物が本当に豊富で、野菜、フルーツ、魚介類、肉類、なんでもあり、値段も安い。特に、トロピカルフルーツのマンゴ、パパイヤ、パッションフルーツが気に入って、毎朝、朝食に頂いている。主食にしても、日本のように米だけでなく、ヤム芋、クスクス、プランテーヌ(食用バナナ)などチョイスがいっぱいある。カメルーン料理は、油っぽいものもあるが、たいていは、日本人の口にも合う。また、日本食が恋しくなれば、中国人が経営している中華レストランが多くある。ただ、カメルーンに食料は十分にあるものの、様々な問題もあるのも事実だ。義務教育でさえ十分に受けられない子供がいっぱいいるそうだ。また、失業率も高い。衛生上にも問題があり、きれいな水がない地域や電気のない地域もまだいっぱいあるそうだ。医療設備も十分の整っているとは言えないが、そんな厳しい生活環境でも、人々には笑顔が絶えない。

日本の人たちにもっと知ってほしいカメルーン

カメルーンに来て本当に良かったと思っている、日本にいたら経験出来なかった貴重な体験を日々している、カメルーンでサッカープレーする機会を与えてくれた、カノン・ヤウンデとマネージャーのマダム・ヨウコをはじめ、現地でいつもお世話になっている、在カメルーン、日本大使館のみなさまに、この機会にお礼を言いたい。又、今後は、さらにゴールへの意欲を見せ、チーム優勝に貢献したい。カメルーンと言う国をサッカーだけでなくもっと日本の方々に知ってもらいたいので、今後も、現地より生の声をお伝え出来れば嬉しいです。

戸塚亮選手
カノン ヤウンデのイレブン
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