カメルーンでプレーする日本人サッカー選手 戸塚 亮
強豪カノン・ヤウンデに入団
カメルーンに渡って、すでに3ヶ月がたった。アルゼンチンでサッカーをプレーした後、次のクラブを探していた私に、マネージャーのMadame Yoko
(マダム・ヨウコ)は、カメルーンでサッカーをしてみないか?と言った。カメルーンの強豪チームのCanon Yaounde (カノン・ヤウンデ)
の会長のDoctor ABEGA(ドクター・アベガ)が、私のビデオを見て興味を持っているとの話だった。マネージャーは、私のプレーは技術的には良いものを持っているが、フィジカルが弱点の私にとって、カメルーンのフィジカルサッカーはよい経験になると話してくれた。
正直、カメルーンと言っても、あまりこの国について知らなかったため、興味を持ったものの不安があった。カメルーンについて知っていることと言えば、アフリカのサッカー大国で、多くのカメルーン人選手がヨーロッパをはじめ海外で活躍し、JリーグでもプレーしていたPatrick
Mboma (パトリック・ンボマ) やバルセロナのストライカーのEtt’o (エトー)の名前ぐらいだった。また、2002年のワールドカップの際のカメルーン代表チームのキャンプ地の大分の中津江村の存在も知っていた。すこし考えた結果、私はカメルーンでクラブの入団テストを受けることを決意した。不安と期待を胸にカメルーンに渡った。到着後、翌日から早速、カノン・ヤウンデに練習参加し、フレンドリーマッチをした。その結果、入団テストに合格し、2005年5月から12月まで契約して、カノン・ヤウンンデの選手としてプレーをしている。
伝説のドクター・アガベ
カノン・ヤウンデは、今年の11月で創立75周年を迎える歴史あるアフリカを代表するチームで、カメルーンリーグの1部リーグでプレーをしている。チームの会長は、元カメルーン代表でワールドカップ出場経験があり、現役時代にアフリカ最優選手に選ばれたこともある、Doctor
ABEGA Theophile(ドクター・アベガ・ティオフィル)だ。カノン・ヤウンデは、彼の父が設立したサッカークラブだ。ドクター・アベガ自身もカノン・ヤウンデでプレーをして、チームのアフリカのチャンピオンズ・リーグ優勝に貢献した。ドクター・アベガは、ギネスブックに書いてある通り、サッカーで残した功績を認められて、世界で唯一”ドクター”の称号を得たサッカー選手で、サッカー界の博士という偉大で伝説的な人物だ。現在も、カメルーンはもとより、アフリカ全土でドクター・アベガのサッカーで残した功績は称えられ続けている。また、今でもドクター・アベガのプレーを超える素晴らしい選手は、カメルーンには現れていないと人々は言う。
公式戦でアシスト・ゴール
カノン・ヤウンデ入団後は、チームの用意してくれたヤウンデ市内のホテルに仮住まいし、一日でも早くチームに慣れるために、毎朝、フランス語の学校に通っている。やはり、チームメイトとのコミュニケーションは大切だ。フランス語のレッスンの後は、ホテルに戻り、プールでひと泳ぎして、15時からチームの練習へ行く毎日だ。カメルーン・リーグでプレーする初めての日本人、アジア人選手と言うことで、常に注目を浴びた。初の日本人を歓迎すると共に、どうして遠く離れた国、日本から選手を獲得する必要があるのか?と言うようなことも地元のプレスは書き立てた。そんなプレッシャーの中、だんだんチームのフォーメションや監督の戦術にも慣れ、監督の信頼を得ることが出来き、実際に試合にも出させてもらっている。カメルーン人の大きなフィジカルなDFを抜くのは容易くないが、公式戦でもアシスト&ゴールをすることが出来た。
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