エジプト
青年海外協力隊 日本語教師としてエジプトに派遣。
ヘルワン大学観光学部にて、日本語教師として活動。
上野圭子
エジプトからの手紙です。でも実は、これを書いている今は、2年間のエジプト生活を終えて日本にいるのですが。
【エジプトという国】
エジプトは、古代エジプト文明が育まれた土地、そして、国土の96%が砂漠に覆われた殺伐とした土地です。国の中央を南北に貫く、ナイル川の恵みによって、遙か昔から、人々は生活をしてきました。
エジプトを陸路で旅するときは、長い時間をかけて砂漠の中を旅しなければなりません。場所によってまるで異なる色彩を放つ砂漠は、とても美しく魅力的です。一方で、緑の全くない光景は、地球ではない別の惑星のようにも思えます。
唯一、ナイル川の周りは緑で溢れています。そこに、人々は暮らしています。 |
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【人々の生活】
エジプトは、アフリカ大陸の北東の端にありますが、文化的にはアラブの国です。ですから、人々の生活はイスラム教と深く結びついています。
朝早くから、町中に鳴り響く「アザーン」と呼ばれる、祈りの呼びかけ。町中に点在するあらゆるモスクから、まるで競争でもするかのような大音量で町を覆います。
祈りの時間になると、人々はあらゆる場所で額を地面につけて、深く神に祈っています。町では、イスラムの教えに従い、多くの女性が髪をみせないように、ヘガーブと呼ばれる布を頭にかぶっています。(ただし、エジプトには10%キリスト教の人々もいるので、彼らは彼らで自らの教えを守り、教会に祈りに行きます。)
ですが、その篤い宗教心とはうらはらに、エジプト人は驚くほど陽気で、時にうるさいと感じることさえあります。
家族も親族も隣人も初対面の人も、そこにいる全てを受け容れる心の広さが、エジプト人にはあります。でも、その分、人に対して遠慮をするとか、思いやるということは苦手なのかもしれません。畳の国、日本で生まれ育った私には、時には土足で心の中に入り込むエジプト人にいらいらすることもありました。(例えば、こちらの都合も全く考えず、強引に食事に連れて行かれる、とか電話攻撃にあう、とか・・・) |
【カイロの町】
私は、エジプトの首都、カイロに住んでいました。カイロは都会です。お金を払えば、ほとんど生活に必要な全てのものが手に入ります。
でも同時に、町を走る車はオンボロで、マンションも今にも倒れそうです。人々は、いろんな品を、何度も修理して使います。信号もほとんどなく、あっても誰も守ろうとしません。およそ日本とは違う光景が私達を驚かせます。
町を歩くと、誰かが干した洗濯物の水や、建物からはみでたクーラーの室外機からしたたり落ちる水が、頭に降ってきます。青い空からは、ほとんど雨が降ることはないというのに。何というか、驚くほど「無秩序」な町です。
でも、なぜか、その無秩序で無遠慮な国が、私はとても好きでした。日本でいつも萎縮していた自分の心が、ほどけたような開放感を味わいました。
【仕事の話】
そのエジプトで、私がしたことは、「日本語を教えること」です。
エジプト人が日本語を勉強してどうなるの?と思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、エジプトには世界から、観光客が集まります。もちろん日本からも。その日本人観光客を迎える重要な要素に「語学」があるのです。
私は、エジプトの遺跡を見に来る日本人をガイドする「日本語ガイド」を目指す学生たちに、大学の課外授業として日本語を教えていました。課外授業ながら「日本語ガイド」の収入は英語などに比べて非常に高いので、その需要は大きく、学生は大変熱心でした。
日本語は本当に難しい言葉です。アラビア語とは文字も文法もまるで違います。その上、婉曲を良しとする日本文化を理解しなければ、日本人をエスコートし、素敵なガイドをすることはできません。*「河岸神殿」「厨子」といった、古代エジプトに関係する専門用語を覚えながら、「少しぐらいお腹が痛くても我慢してガイドの説明を聞く日本人」の気持ちを理解すること。そんなことを、私は、学生に教えなければならなかったのですが、果たして私にそれが出来たのか・・・。
いつか、多くの経験を得て、日本人を少しずつ理解し、日本人から、「ガイドがいたから、エジプトの旅が本当に楽しかった」と思ってもらえる素晴らしいガイドになってくれたら、というのが、学生に託した私の夢です。
【最後に・・】
エジプトを離れた今も時々、町の喧噪や、鳴り響くアザーンの声を思い出します。エジプトの暑さは、照りつける日差しの強さでもあり、人々の活力でもありました。日本のような、ふんわりした優しさはないけれど、強く生きる人々の逞しさがそこにあり、そして、そこに神への祈りがありました。
日本とは違う場所で、あまりにも違う文化で、それでも、今もエジプトは私を魅了し続けているようです。
*「河岸神殿(かがんしんでん)」は、ピラミッドから、ナイル川に続く道の先に建てられた川のほとりの神殿です。船着き場の役割があるとか、ナイル川から運んできた王様の遺体をミイラにする場所だとか、言われています。
*「厨子(ずし)」は、王様のミイラを入れた棺を納めたり、王様の内蔵や、遺品や副葬品を入れる「箱」のようなものです。部屋のように大きいものからみかん箱ぐらいに小さいものもあります。
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