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エチオピアコンピュータ事情 「故郷に錦をかざる」人々 -マリ-

【プロフィール】 船川夏子(ふなかわなつこ)
セネガル在住の会社員。学生時代にケニアなどアフリカの国々を訪れたことがきっかけで「日本にアフリカを知らせたい」と学生団体Tunapenda Africaのメンバーに加わり、学習会・イベントの企画に携わる。2007年フランスに留学、大学院で西アフリカの移民・開発問題を学ぶ。現在は商社の社員として「ビジネス」を通してアフリカと関わりながら、仏語圏西アフリカの情報発信につとめる。


「イブラヒマさんはマリ北西部の農村出身。子供のころは村に学校がなく、字が読めなかった。
十代でフランスに渡り、自動車工場で働くようになった。
仕送りをして故郷の家族の生活を助ける一方、勉学に励み、同じく出稼ぎに来ていた同郷の人たちと協力して、ふるさとに学校や保健所を建てるようになった。
その功績が村の人々から認められ、やがて故郷に戻った彼は尊敬されて県議会議員になった。」


「移動」によって財を成す

マリにおける「出稼ぎ」の歴史は長い。
イブラヒマさんの故郷、カイ地方はもともと行商を営むソニンケ族が多く「男は旅をして一人前」、旅先で一財なして故郷に戻るのが男性の誇りとされていた。
マリがまだフランスの植民地になる前は今のような国境はなく、行商人は縦横無尽に旅をしていた。
植民地時代には、この地方の男性の多くが今のセネガルにあるプランテーションに落花生収穫の季節労働にでかけ、その他の時期には故郷に戻るという出稼ぎのサイクルを繰り返していた。
また、1950年代から1970年代にかけては、第二次世界大戦後の復興ブームで、多くの労働者が(旧)植民地からフランス本土に出稼ぎに出ていた(イブラヒマさんもその一人だ)。
70年代には干ばつがカイ地方を襲ったが、住民を飢餓から救ったのは、出稼ぎ労働者からの仕送りだった。


(左)在外マリ人の団体によって建設中の学校。(右)会議の様子。(写真提供GRDR)

海外在住者の経済的インパクト

現在、マリの全人口のおよそ3分の1にあたる400万人が海外に在住すると言われる[1]。
出稼ぎ、留学、家庭の事情など、その理由は様々だが、大部分は同じ西アフリカの近隣諸国(例えばコートジボアールには在外人口の半数以上が暮らすと言われる)、その他がフランスや、米国などに在住している。
これら海外在住者からマリに送金される金額は約2億ユーロに上り、これはGDPの4%、マリが受け取るODAの24%、海外直接投資の1.8倍に相当する[2]。
これらの「仕送り」は、郷里の家族の衣食住を補うだけでなく、学費や家畜の購入など、将来への「投資」にも当てられる。
マリ政府は海外在住者からの送金・投資・ノウハウの伝授が国の経済発展に重要だと見て、海外在住者・アフリカ統合省[3]という専門の役所まで設けている。


(左)自動車修理・塗装の工房を営むアダマさん。出稼ぎでためたお金で規模を拡大、従業員の数も増えた。
(右)街中でよく見かけるWESTERN UNION(海外送金サービス)の広告。「スペインから低手数料で送金してもらえるって本当?イエス!」

制限された「移動の自由」

モノと人の自由な移動は経済を活性化させるといわれる。
しかし残念ながら、今日のマリ人の移動は制限されている。
フランスのようにかつて大量に労働者を呼び寄せていた国は不景気を境に海外からの労働者受け入れを厳しく制限するようになった。
また、一般的にマリのような途上国の出身者が先進国に入国するにはビザが必要だが、「テロ対策」「不法移民対策」などを理由にその取得条件は厳しくなる一方だ[4]。
かつてのソニンケ族やイブラヒマさんのように縦横無尽に旅をして立身出世し、「故郷に錦を飾る」ことができる人は、これから少なくなっていくのだろうか。

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[1] 統計によるとマリの人口は1336万人(2008)。Source: IMF World Economic Outlook Database, April 2010

[2] 2000−2002年の統計。Source: BA, Hamidou. Les statistiques des travailleurs migrants en Afrique de l'Ouest. Geneve: Cahiers des migrations internationales. BIT: 2006. p62.
SMITH, Stephen. Atlas de l'Afrique - un continent jeune, revolte, marginalise. Paris: 2005. p56.

[3] 正式名称はLe Ministere des Maliens de l’Exterieur et de l’Integration Africaine (MMEIA)、発祥は1995年。

[4] 例えばマリ人がフランスに渡航する際は短期滞在でもビザが必要。申請者の4人に1人以上が却下されるというデータもあり、ビザがおりなかったために招待されていた国際会議に出席できない、という話もよくある。



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