『復興応援 エチオピアン・デーin大船渡 』開催報告
一般社団法人 日本エチオピア協会
山 本 純 子
実施場所:岩手県大船渡市 長洞仮設住宅団地内集会所
開催日 :2012年7月21日(土)13:30 〜16:00
主催 :一般社団法人日本エチオピア協会
後援 :駐日エチオピア大使館
協力 :復興支援奥州ネット,NPO夢ネット大船渡,アフリカ理解プロジェクト,
エチオピアンローズプロジェクト,NPO子どものための机基金,
青年海外協力隊エチオピアOB/OG会,学生国際協力団体トムソーヤ,
モカ・エチオピア・ダンスグループ
参加者 :長洞仮設住宅にお住まいの皆さま,ご近隣の皆さま 延べ60名程度
≪開催の背景≫
日本エチオピア協会では、東日本大震災の甚大な被災状況を受け、エチオピア製チャリティーバングルの販売による義援金活動を継続して参ました。震災から1年半を経て、義援金活動から更に一歩踏み込んだ顔の見える支援を形にしたいと企画したのが、今回実施した被災地での文化交流イベントです。協会の呼びかけに応じて集まった有志ボランティアの手により実現に至りました。
≪実施概要≫
今回の会場となった長洞仮設住宅は、大船渡市最大の仮設住宅団地で、今なお大勢の被災者の方々が暮らしておられます。その集会所をお借りして、エチオピアの文化に触れる場を提供しました。
有志ボランティアの中には、日本語堪能な在日エチオピア人、ダニエルさんとイーサンくんに加え、コーヒーセレモニーのデモンストレーターとしてエチオピア大使館よりアヤイネシさんも参加してくれました。延べ60名もの住人の方々にお集まりいただき、手さぐりながらも現地の方々に喜んでいただくことができ、良い交流の場を持てたのではないかと思います。
1. エチオピアの歌とダンスパフォーマンス
まず最初にテンポ良くリズミカルなエチオピアのグラゲ民族のダンスで会場を温めました。踊りが始まると自然に手拍子が起こります。フラットな会場に座布団を敷いた客席と、踊り手の距離が近いこともあり、お客様もダンサーも同じ目線で自然と笑顔が湧いてきました。(写真1)
続いてエチオピア人ボランティアのダニエルさんが、日本語で『上を向いて歩こう』を熱唱。(写真2)最初は、キツネにつままれたようにビックリしていた会場の皆さんですが、すぐに盛大な拍手が湧き起こり、誰もが知っているこの曲を口ずさみながら、大きな手拍子で盛り上がりました。
会場の熱もかなり上がってきたところで、学生チームによるガンベラ地方のダンスのお披露目です。実はこの日がダンスデビューの3人トリオ。一生懸命練習してきた甲斐あって息もピッタリです。(写真3)この時点で会場は、すっかりエチオピアの歌とダンスの世界に惹き込まれていました。
会場が良い感じに温まったところで、再びダニエルさんがエチオピアの歌を披露します。憂いを帯びて、どこか懐かしい感じのするエチオピア音楽は、歌詞の意味がわからなくても日本の演歌のように心に沁みるものがあります。
少しクールダウンしたところで、今度は会場の皆さんにも身体を動かしていただこうと、世界で一番肩凝りに効くダンス、北部ウォッロ地方のダンスを披露。(写真4)その後、ご希望の方に、東京から持ち込んだ衣装を身に着けていただき一緒にダンスを楽しみました。(写真5)最後の1曲は、エチオピアの盆踊りとも言える最北部ティグレの人びとのダンスです。皆で輪になり、元気よくステップを踏みました。(写真6)
2. エチオピアクイズ&絵本の朗読
本来このコーナーは、キッズコーナーとして企画を立てていたのですが、お子さんの数が少なかった為、おとなも一緒に楽しめるクイズと絵本の朗読コーナーに急遽、変更しました。クイズの正解者には、アフリカ理解プロジェクト様を始めとする協会会員の方々からご寄附いただいたエチオピアグッズを景品に準備し、なかなかの盛り上がり。(写真7・8)
続いての目玉コーナーは、エチオピア人青年イーサンくんが日本語で朗読する『コーヒーのはじまりの物語』です。(写真9)絵本のコンテンツを紙芝居仕立てに加工したフリップを見せながら、イーサンくんが流暢な日本語で物語を読み上げます。それだけでも驚きですが、最後に彼の読んでいた原稿が、全て漢字交じりの日本語で書かれていたことが明かされると、イーサンくんに大きな讃嘆の拍手が送られました。
3. コーヒーブレイク
会場もだいぶ和んできたところで、エチオピアの文化を知っていただく上で欠かせないコーヒ―セレモニーの紹介に移ります。(写真10)セレモニーの流儀を紹介する傍ら、エチオピア人二人にも入ってもらい様々な文化も並行して紹介してゆきました。途中、子どもたちには、杵と臼を使って煎ったコーヒーの豆砕きも手伝ってもらいます。(写真11)ごほうびは、本場のモカ・コーヒーで作った甘いコーヒー牛乳。これはほろ苦いコーヒーが苦手な子どもたちにも大好評でした。
淹れたてのコーヒーが皆さんの手に行き渡った頃を見計らい、すっかり和んだ空気の中で最後のプログラム、エチオピア人が日本語で答える質問コーナーに突入です。エチオピアの『気候』や『言語』、『奥さんは何人貰えるの?』と言った質問から『年金利用のリタイアメント制度には対応しているか?』という具体的な問い合わせまで様々な質問が飛び交いました。
こうして、すっかり打ち解けた空気のうちにお開きの時間がやってきました。(写真12)最後にお土産用に持参した美しいエチオピアのバラとエチオピアの職人さんが丹精込めて作ったGO JAPANのロゴ入りブレスレット(アフリカ理解プロジェクト様のご協力により作成)をお持ち帰りいただきました。ご自分たちの集会所だからと、最後まで片付けを手伝ってくださる住民の皆さま、車が発車するまで手を振り続けてくれる子どもたち・・・双方にとって心に残る交流の場となったことをご報告いたします。
≪主催者所感≫
今回初めての試みということもあり、まずは実施の賛否から始まり、現地受け入れ体制の確保、どんな状況であっても臨機応変に対応できるプログラム作り等、準備には長期間を要しました。『被災地でエチオピアン・デー?』そんな疑問を企画した私自身も払拭できない部分がありました。未だ足を踏み入れた事のない被災地にどんなニーズがあるのか想像もつかなかった・・・というのが正直なところです。3.11以来、何らかの形で被災地を支援したいとチャリティーバングルの販売を開始しましたが、時の流とともに刻々と変わってゆく現地状況の中、求められるニーズもまた変わってくるはずです。エチオピア協会ならではの支援の形を追求した結果、行きついたのが今回の文化交流プログラムでした。開催を通じ、経験から学んだことは『支援』と言う言葉は相応しくないかもしれませんが『応援』という形であればアリだということです。家も家財の一切も津波に飲みこまれ、中には大切な家族を失うという想像を絶する痛みを抱えた被災者の方々が、ひと時でも笑顔になり、手を叩き、歌を唄う。日常を取り戻すための手助けになれるのではないか・・・そんな可能性を実感しました。
今回、特に良かった点は、現地の受け入れボランティアの方々に恵まれたことはもちろんですが、会場が仮設住宅の集会所ということで、住民の方々が気軽に立ち寄れる立地にあったことが上げられます。大船渡では、時々有名人が訪れ、大規模なチャリティーライブが開かれることもあるようですが、入場が無料であっても車が流されてしまい、電車も遮断されたまま復旧の目途が立たない当地では、会場にアクセスする不便が未だ解消できないという現実があることを知りました。
特に喜ばれたのは、日本語が堪能なエチオピア人を現地に同行し、交流できたことです。彼ら自身も東京で3.11を経験しており、リアルタイムに津波の映像を見ていたので、その被災地を訪ね、エチオピアの文化を自ら紹介できたことを誇らしく思っているとのことでした。
エチオピアグッズをご寄附いただいた協力団体の皆さまのお陰で、クイズやゲームも盛り上がりました。金額の大小に関わらず、何かしらの副賞が付いたり、勝敗がはっきりするゲームは、TVのクイズ番組同様、おとなにも子どもにも人気で喜ばれます。
対象となる年齢層や人数を事前に予想することは困難でしたが、実際に足を運ばれた方々の年齢層に合わせ、その場でプログラムを組み換え、臨機応変な対応を取ることができた点も良かったです。こういった対応ができたのは、中規模のイベントであったこと(100名規模では対応が難しい)現場合わせで対応ができるボランティア人材が揃っていたことがあげられます。
今回、交通手段は、新幹線+レンタカーという組み合わせでした。一ノ関方面から大船渡に入る場合、最も被害の大きかった被災地のひとつ陸前高田を通ります。少し車を停めて、その被害の甚大さを全員で直視してから大船渡に向かいました。この立ち寄りが有るか無いかで、訪問する側のボランティアの意識も大きく変わったと思います。(参考写真13〜18)
被災地の方々と主催者・出演者である私たちとの間に双方向の交流が生まれたことは、大きな喜びであり、当初の想いであった『顔の見える支援』に一歩近づけたことが、何よりの成果となりました。
参考写真13:陸前高田旧市庁舎の正面入り口には、慰霊の為の祭壇が設えられ、生花や折鶴が飾られている
参考写真14:祭壇の後方は、この惨状
参考写真15:消防署のシャッターも凄まじい津波の圧力でひしゃげている
参考写真16:水を張った田んぼのように見えるが、液状化により湧き出た水が貯まっているだけ。海水が交ざっており、田んぼとして再利用することはもうできない
参考写真17:所々にコンクリートの建物が見える以外は雑草が生えた更地。かつては木造住宅が密集していた。ここに街があったとは到底想像できない風景
参考写真18:奇跡の1本松。津波により7万本もの松がなぎ倒された。最後に残ったこの松も朽ちかけており、既に天辺の松の葉は茶色く枯れている。今夏切り倒し、モニュメントとして人工的に再生されることが決まった
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