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セネガル:貧困?とんでもない僕はマンゴーで成功するよ!セネガル:貧困?とんでもない僕はマンゴーで成功するよ!

内野ケイタ香美(うちのけいたこうみ)
青年海外協力隊員として初めてアフリカ(セネガル)に降り立ったのは1990年。野菜、果樹栽培や養鶏などの農業を中心とした活動から、識字教育などにも挑戦した。その後、マリ共和国にてNGO活動に参加し沙漠化防止を目的とした植林等を行う。また、コンサルタント業にも時折従事し、マダガスカルでは流域管理計画策定という事業にも参加。その後、地球風と名付けた田舎暮らし仲間(九州大分県)と活動をしつつも、古巣のセネガルにて畑を入手し、不在地主ながらもアグロフォレストリー的活動を村の青年と展開している。
連絡先: kokonoe@hotmail.com

セネガル:マンゴー
サンバ・ファイ青年と彼のマンゴー園

5つの枝はモチベーションという養分の賜物

根っこの部分からモチベーションが上昇し、5つの大きな枝になる。その枝1本1本には名前が付いている。忍耐、野望、勇気、仕事そして耐久力。大樹になろうとする元気のある木である。セネガルのある農村青年がマンゴーと野菜栽培の17年の歩みを振り返ったとき、彼の中に湧いてきたのがこのイメージだそうだ。う〜ん、やるなぁ〜と思った。

彼の名前はサンバ・ファイ。1990年に私が青年海外協力隊員として活動することを決めた、セネガルはティエス州Keur Mbir Nadao 村の青年である。実は学業を終えUターンしてきた一青年に過ぎなかった。その兄さんは村の青年グループリーダーであり、教師であり、優秀な中心人物であり、とても目立つ存在であった。

一方サンバ青年は、出会った当初は痩せており、やや病弱。サッカーも苦手らしく頼りがいがあまり感じらない。しかし、彼のすごいところは必要な情報に自らアクセスする能力と、新しいことに挑戦を続ける意欲であった。 今ではチャーミングな奥さんと4人の子供に恵まれ、家庭の大黒柱である。お腹も出てきたけど・・・。 この彼がこれまでの農業青年時代を振り返り、一つの小さい本を書いている。そのまとめが先ほどの大樹を目指し成長を続けるマンゴーツリーのイラストだった。

マンゴーの接木なんてとんでもない!

「Komi!僕はもう貧しさとはさよならさ。だって、僕にはマンゴーがあるからね。」そう言っていつものように大きな声で笑いながら、彼はこう付け足した「これまでの活動をまとめてみようと思う」と。

彼の住むKeur Mbir Ndao村は雨季(6月終盤から10月初旬)に稼ぐ降雨量が500mmほどの地域であるため、雨季の畑作が中心ではあるが、セネガルのニャイ地域という野菜栽培に適したゾーンの端っこでもあり、乾季の涼しい時期には水さえあれば野菜栽培ができる。キャベツ、トマト、タマネギ、ナスなど日本でも御馴染みの野菜からジャハトウという苦味が美味しいアフリカナスはこの地域の特産でもある。

私が青年海外協力隊員として活動を始めた90年代の初め、その当時はマンゴー栽培が行われていなかったわけではないが、今ほど華やかではなかった。筋が多く、実も小ぶりなローカルなマンゴーがほとんどで、ケントやケイトといった良品種を栽培している人は本当に僅かであった。また、その穂木は、セネガル南部のカザマンス地方まで行かないと入手は困難で、尚かつ当時は反政府派の活動が活発になっており、そう簡単にはこの地方に足を踏み入れられない状況でもあった。そうでなくともサンバの村から、そこに辿り着くには、ガンビアという国を越えるか、大迂回をして片道800km以上を走るか、ジョラ号というフェリーで行くか、どれをとっても「すぐに出掛けよう!」とは言い出せない。 そのせいもあり、マンゴーの接木をしようなんてとんでもないと考えられていたのではないか?と思う。

運の良いことに、当時セネガルには青年海外協力隊のグループ派遣「緑の推進プロジェクト」が入っており、そこの果樹隊員にお願いして、カザマンスからの穂木を数本譲ってもらった。接木方法を教えてもらい、サンバ青年に伝授。私が10本の穂木のうち3本しか成功できないのに、彼は7本成功させた。今思えば「マンゴーラッキー7」だったのかもしれない。

栽培技術とマネージメント

サンバ青年とは、マンゴー栽培のみならず、彼の兄さん達が組織している青年グループと実施した同様の活動を展開した。それらは、堆肥作り、野菜苗作り、有機材料を用いた病虫害対策などである。 そんな技術移転よりの活動が多かったのであるが、私が協力隊を終え、この村を一時去った後も彼は農産物生産と販売の運営を勉強し、自分の畑に適用していった。また、農産物見本市にも参加し、自分が栽培した物を出展するだけでなく、そこで出会ったセネガル周辺諸国の人々とも交流、意見・情報交換を続けてきた。

そんな彼の技術とマネージメントの成果は、8年振り(2000年)に訪れたマンゴー園の扉が開いた瞬間、私の目の前に押し寄せてきた。隣の畑のそのまた隣まで見渡せるほどスカスカなのがサンバの畑、というイメージを持ったままの私は、行けども、行けども重なるマンゴーツリーの緑のカーテンと、たわわに実るマンゴーの大行進に立ちすくんでしまった。「ココ、ドコ?」という感じに。そのとき、「ヘヘッ〜」といつものようにサンバの笑い声がした、途端に二人で大笑いしてしまった。「スゴイネサンバ!!」

8年という歳月の中で、彼は栽培技術と生産運営の両輪を前へ、前へと進め続けてきたのであった。 そして、2006年彼はマンゴー栽培で得た利益で現在2階建ての立派な家を建設中である。

戻ることが生んだベネフット


彼の17年を振り返る小さな本で今初めて知ったことがある。それは、サンバが二つの選択肢の前で「よくよく考えた」ということだ。その選択肢とは、一つは、村に戻る。もう一つは、セネガルを出て外国に出稼ぎに行く。

今、セネガルではカナリア諸島に丸木舟で渡り、そこで働こうとする若者が問題となっている。丸木舟で7日間も大海原を渡るリスクを持ちつつも、未来を外国に求める熱意があるのなら、それを故郷に向けることはできないの?という大きな疑問が湧いてくる。

サンバのような青年は奇跡ではない。忍耐、野望、勇気、仕事そして耐久力。この5つの枝を、丸木舟に乗り込む青年達も同様に持っていたに違いない。ただ、その枝を伸ばす向きが違っただけ。サンバの小さな1冊が、この国の青年達に伸び行く先を「よくよく考える」きっかけを作ってくれることを期待しつつ、今年のマンゴーをいただこうと思う。


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