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■ エチオピアへ行く心 |
初めまして。初めて「手紙」を書いています。アフリカのお話しをと思ったとき、最初に書きたかったのが、私のエチオピアの旅です。どうぞよろしくお願いいたします。
当時私はいわゆる「東京のOLさん」でした。旅は好きだけれど、休暇は短く大掛かりな旅行なんて無理。それでもアフリカに行きたかった、すごく、行きた
かった・・・。そして2004年、一人旅で、アフリカ辺境の地へ行こうと決意しました。でもどこに行こう・・・? そう思ったとき、ノートを広げ、感じ取
りたいものを書き連ねてみました。
「空気、土、人、ブラックアフリカ、マザーアフリカ、空、太陽、訳の分からなさ…」
そう、日本で暮らす私にとって、衝撃的な異世界に飛び込みたい気持ちがあったんです。通念も感覚も何もかもが違う空間に飛び込んでみたかったのだろうと思います。そうして、航空券だけ持ってまったくの予約なしで飛び込んでいったのが、エチオピアでした。
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■エチオピアの旅 |
成田から次々フライトを乗り継いでジンカ(エチオピア南西部の町)の原っぱだけの空港に降りました。そのときのとてつもない恐怖と衝撃は、今でも鮮烈に覚えています。・・・赤い土、黒い人、澄んだ空、低い家、舞う埃、何とも言葉に表せないアフリカがそこにはありました。
翌日、エチオピア人ガイド2人と合計3人で、4駆車でのプライベートツアーが始まりました。当時、ネットでも情報はわずかしかない地域の旅だからこそ余計に、古代より続く民族の村に着いたときの驚愕は大きかった。
このページのトップの写真はその瞬間です。この旅で、最も感動を覚えた瞬間の1つでもあります。下唇や耳たぶに穴を開けて「デヴィンニャ」と呼ばれる大き
なお皿を入れるムルシ族の人々。私は、長い長い時間、彼らの家を見、彼らの姿を見、写真を撮っていた筈なのに、終わって時計を見たら現地滞在時間はたった
30分。すごく不思議な、夢を見ているかのような時間だった、ということなのでしょうね。
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下唇にデヴィンニャ(皿)を入れるムルシ族。
奥はかやぶき風の彼らの家。
私は入口に半分背を入れている、
つまり家屋の入り口はこんなに小さいのです。
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カロ族の少年。
白い顔料でボディペインティング。
この村には電気も水すらもなかった。 |
ハマル族の女性。
多彩なアクセサリーが美しい。
ハマル族はトゥルミなどの町にもいるが、
これは遠く離れた村まで行ったときの写真。 |
旅が進むと、私も少しずつ、そういった民族との触れ合いに慣れてきて、彼らに手を差し出せるようになってきました。日本だったら手に泥がつくと洗いたくなる、はずなのに、ここにいると、手に泥がついた赤ん坊の手を、手を差しのべてにぎってあげたくなる・・・。 |
ほら、こうやって・・・ |
なんだかアフリカでは、自分自身が、自然を取り戻していくみたい。
日本では気づかない本質が、無意識に自分に芽生えてくるの。
このエチオピアの旅は、とてもとてもすがすがしいと思える旅でした。
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■エチオピアの旅を終えて |
エチオピアへ行き、何が変わったか。
まず、アフリカに行って本当に良かったと思う日々が送れるようになりました。そして、自分が、ちょっと自然を取り戻したように思えました。そして何より、
日本では報道の薄いアフリカを、自分からもっと知ろうと思うようになりました。これは今回この「手紙」に託す一番のテーマでもあります。
行ってみてください。何にだって、知らずに人生を過ごすより、知って人生を過ごすほうがいい。情報が入る今アフリカはどんどん身近になっています。そして、アフリカはどこを旅しても、それは一編の小説のような、感動的なストーリーになることは間違いありませんから!
写真・文:松本あづさ 2009/6/26記
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