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変わり行く世の中にも関わらず、牧畜民や遊牧民は、自らの生活様式を維持し続けたいと考えている。その一方で、気候変動の影響をもっとも受ける彼らには、開発が必要だ。 アファールに住む、牧畜民イドリス・アリ・イグマは、「私たちは周りの変化に適応しようと頑張っているが、一夜にして生活を変えることはできない。」と語る。イドリスは、この地で暮らす人々のニーズに応じた、柔軟な開発アプローチを政府に要望している。
かつて、エチオピアには乾季と雨季があった。短期間の雨に続く、待ち望んだ長期間の激しい雨。しかし今は、雨がほんの少し短期間に降るだけで、あとは延々と乾季が続く、とアハメド・アバブは語る。アファールの牧畜民の1人であるアハメドは、熱風が嵐のように吹きつける中、砂塵でかすむ蜃気楼の中からあらわれる牛の列を、いばらの囲いに追いこむ。 アフリカは、異常気象によって干ばつが頻繁に起こり、年々暑くなっている。「私たちの活動する地域では、通常の域を超える異常な気候変動が報告されている」、とオックスファムのプログラム調査員のジョン・マグラスは語る。
先に発表された気候変動に関する政府の予測では、アフリカ大陸の気温は、他の大陸の2倍の速さで上昇し、サハラ以南のアフリカは深刻な水不足に見舞われる、としている。地球温暖化への影響が最も少ないアフリカで、人々の暮らしが、主に(気候変動に伴う)自然災害のため、危機に瀕している。 なかでも牧畜・遊牧民は、他の産業に比べて、自然災害の影響を最も受けやすい集団である。何世紀にも渡って世界で最も厳しい地に暮らし、その中で予測の難しい気候に順応した、独特のサバイバル術を編み出してきたにも関わらず。 「水と雨は、この世で最も重要なものだ。」と、数を大幅に減らしたヤギの群れを連れて、ソマリ県ダナン村の井戸にやって来たハッサン・アブドゥラヒは語る。「私は昨年の干ばつで半分以上のヤギを失った。元に戻るには時間がかかり、その間の家族の生活はひどいことになる。」
牧畜・遊牧民は、緊急事態に直面するたび、それを彼らのサバイバル術の糧として、次の事態に備えてきた。エチオピアの辺境部には、とげのアカシア、乾燥した低地、火山、砂漠が広がり、肥沃な高地を取り囲んでいる。国土の61%がこのような辺境部であり、そこを住処とする800万人の牧畜・遊牧民は、多様な民族に分かれている。4大民族はソマリ、アファール、グジ、ボラナである。 牧畜・遊牧は生活様式のひとつだが、ほとんど理解されてはいない。伝統的な家畜飼育を基本とした生活には、家畜のための草や水が不可欠である。これらが干ばつなどで失われると、彼らには、他に生き残る手立てはなくなってしまう。
これに対応するため、牧畜民・遊牧民は、複雑な対処方法を作り上げた。居住地域が日照りに見舞われると、素直に別の場所に移動するのである。彼らは、限られた資源を分かち合う独自の戦略を持っている。例えばボラナには、ガダと呼ばれる伝統的な協力システムがあり、一種の社会保障の役割を果たしている。氏族は困難に互いに助け合い、限られた資源を使いすぎないよう、きめ細かい管理を行う。 「人々の一般的な考えとは異なり、牧畜・遊牧民は移動によって、土地を過放牧、それに続いて起こる砂漠化から守っている。」とファーム・アフリカ・エチオピアのサリー・クラファーは語る。 エチオピアは、アフリカで最大の家畜保有頭数を有する。家畜は国家経済にとって重要な資産であり、牧畜・遊牧民はこの国家経済に大きく寄与している。地域の家畜取引規模は、多くの不法取引は無視され、国境を超えて法的に売買される頭数のみで把握されているため、不正確な数字となっている。
しかし、その牧畜も厳しい局面を迎えている。今日、地球温暖化は、多くの脅威をもたらしている。「牧畜・遊牧民は、家畜が草を食む地を失い、放牧地と給水ルートは切断されている。」と、国連の牧畜・遊牧民共同体イニシアチブ(PCI)の部長、アラスター・スコット・ヴィラーは語る。「農耕は(牧畜に比べ)経済的に利があり、牧畜民が放牧する地域に定常的に進出している。」 その主因は、土地へのアクセスに対する法的権利が明確になされていないことにある。(エチオピア)憲法の下では、土地の共有権は規定されている。しかし、実際にその権利が奪われた場合、その問題を法廷に持ち込むことには困難が伴う。ひどい干ばつが頻繁に起こる放牧地ではあるが、牧畜民にとって土地を失うことは生き残りのための天与の才を弱めることになってしまう。カラユ(アワシュ地域の牧畜民小グループ)とアファールの土地での砂糖農園の拡大は、そこに暮らす人々に深刻な問題をもたらすこととなった。 「(土地資源を守るために)あえて我々は、放牧しない土地を確保しておいたものだ。」と、カラユ地区のハジ・カサラは、打ち明ける。「今はそのような土地をとっておく余裕はない。我々の土地は年々狭まり、まるで指につけている、いくつかの指輪のようになってしまった。」
牧畜民が、乾季の水の補給地としていたアワシュ川流域の肥沃な平野では、今年、砂糖農園が著しい規模で拡大した。カラユの人々は、これ以上の砂糖農園の拡大を食い止めようとしているが、この政府の所有する広大な砂糖農園のあるメタハラ地区では、耕作地は14,733ヘクタールまで広がっている。 「政府の所有する農園は、耕作地を年に2倍のペースで拡大している。我々は、カラユの人々に砂糖キビ栽培のノウハウを伝授し、カラユの人々が自ら栽培することにより、耕作地拡大の利益を得られるよう指導するつもりだ。」と、(政府の)管理者のジュードゥ・ニガテは断言する。しかし、ハジはこの言葉を鵜呑みにはしていない。「砂糖工場が操業を始めた1965年に、補償金が払われると説明されたが、いまだに貰っていない。カラユの人々は、これまでも砂糖産業から利益を得ることはなかったし、(これからも)期待はしていない。砂糖産業がカラユ社会に利益をもたらすという言質は、まやかしだということだ。」 カラユの中には、農園の警備や日雇い労働者として働く人もいるが、農園労働者の多くは、域外からやってきた人々である。カラユの人々は、何代ものあいだ、暮らしてきた土地を離れるように言われている。「我々は、どこに行けば家畜が安心して草を食むことの出来るのか考えもつかない。」とカラユの牧畜民であるアラブ・ガリモは語った。再入植は複雑な問題を孕み、他の民族との衝突が起こりやすい。 カラユの人々は、農園だけでなく、立ち入りを禁止された国立公園にもその土地を奪われている。「一方には砂糖農園の問題」があり、他方にはアワシュ公園の問題がある」と、ガリモは続ける。アワシュ国定公園では、オリックス、マントヒヒ、イボイノシシなどが自由に咆哮を上げ、牧畜民は夜間、隠れて家畜を公園内に移動せざるを得なくなっている。
乾燥した低地では、十分な実りをあげられないにも関わらず、エチオピア政府は、牧畜民に対して定住化と農耕への転換を求めている。「雨が降らなくても耕作地を移動させることが出来ないが、家畜には脚があるから水のあるところに連れていけばいい。農業はそれが成果をもたらす場所で行えばよい。肥沃な高地からやって来た政府の役人は、乾燥する低地のことがわかっていない。」と、ボラナの老人ムルク・サリエは主張する。牧畜民の住む、広大な辺境の地は、政府に対するさまざまな抵抗勢力が展開し、問題を引き起こす無法地帯でもある。 ソマリのオガデン地域では、オガデン国家自由戦線(ONLF)がソマリの自治を求めて、高地の支配者に抵抗している。彼らは、地域を支配下に置いている。窪みだらけの道路ではスピードダウンを余儀なくされ、(そこに)銃声が轟くと、くしゃくしゃに髪を乱したONLF兵士が現れ、車の中に誰がいるのか確認される。 新聞の一面で大きく掲載され、アファールの名を一躍有名にした最近の事件、ダナキルの誘拐事件は、アファール州の分離を目指すアファール革命民主連合戦線(ARDUF)が引き起こした。 政府は、このような分離独立勢力の存在を懸命に否定し、誘拐事件を、長年の宿敵である隣国エリトリアのせいにしている。こうした辺境地に住む人々は、政府から無視されていると感じており、意見を聞いてもらうために行動を起こす。 「ARDUFは、政府がわれわれの要求に耳を貸さないことを快く思っていない。」牧畜民であるハッサン・モウサは説明する。「我々の土地での砂糖農園の拡大は、家畜を危険にさらし、ARDUFのような過激派の行動に繋がってゆく。」 地方でのこのような利害の対立は、牧畜民が土地を失い、土地を離れることによって起こっており、干ばつは、牧畜民が政治的騒動を起こすことと緊密な関係にある。牛強盗という行為は、牧畜民とっては永い間生活の一部であったが、人口密度が高くなるにつれ、銃が槍に取って代わるにつれて、その行為は過激になっていった。携帯電話は圏外で、道路へのアクセスがほとんどないこの地域で、牧畜民の得る外部からの援助はほとんどない。全ての経済開発は、牧畜民を定住化させることを目的とし、移動学校や移動診療所の設置を考えることはない。「我々牧畜民に対する政府のサービスはほとんどないから、土地が政府のものだという主張に、我々は憤慨しているのだ。」とハッサン・モウサは続ける。 食糧援助を別にして、辺境の地での経済開発は貧弱で、依存性を高め、牧畜民の文化や問題対処の知恵を破壊している。「我々は、長期的な視点の経済開発を望んでいる。」とモウサは言う。「食糧援助は、継続的な支援ではなく、一時的に緊急事態に対応しているだけだ。」
エチオピアの地方分権化は、ガダ・システムのような伝統的な組織の相互支援機能を後退させている。地方政府は、地域の社会経済的な向上のため、伝統的牧畜民指導者との話し合いの道を断ち切るのではなく、協働しなくてはならない。ソマリアやソマリランドとの違法な家畜売買に頼る人は多い。ソマリアとの不法だが実り多い取引に対する厳重な政府の取締りは、地方経済に深刻な影響を及ぼしている。正式な貿易には、面倒な手続き、関税、高い販売コストがつきものなので、不法取引は彼らにとっては避けがたいことのように思われる。またエリトリアとの敵対から、現在(エリトリア港が使用されずに)、ジブチ港が使用されていることも、取引コストを押し上げる要因となっている。 1997年のリフトバレー熱の流行は、東アフリカ全体の家畜貿易に深刻な影を落とし、サウジアラビアの家畜輸入禁止法案に帰着、エチオピアの家畜貿易経済に大きな打撃を与えた。 皮肉なことに、政治的な思惑によりこの禁止法案は、スーダンに対しては解除されている。海外市場は、家畜に対して品質と保健衛生に関する要求事項を設けているが、エチオピアでは、家畜のための疫病対策、衛生管理、予防接種の制度が整備されておらず、家畜貿易を困難なものにしている。 「我々は、より良い規制と家畜保健衛生サービスを必要としている。」とソマリの貿易業者であるハッサン・ユスフは語る。牧畜民の生活は、彼らが直面する無数の圧力によって変容している。「今や、いたるところで干ばつが発生し、我々はほとんど移動できない。」アファールの牧畜民であるイドリス・アリ・イグマは説明した。干ばつで家畜を失った牧畜民は街に移り、未熟練労働に従事せざるを得なくなっている。 「牧畜民は、不規則に大きく変化する環境の中で生活してきた。開発では、地域のニーズに配慮した柔軟なアプローチを必要としている。」とアファール・牧畜開発協会のモハメッド・アブデラは語る。 New African January 2008 ケイト・エシェルビーの報告より (星野貴子・訳) 「New African」の紹介 |
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